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ギル 和子のプロフィール

 

私が幼い頃から、父は小さい建設会社を経営していました。

しかし、私が小学校低学年の時、母が病気で亡くなったのです。

父親は、母のない私と妹をふびんに思ってか…。

あるいは、ただ切り替えが早かったのか…。

「え~~?もう?」というスピードで再婚しました。

最初はただ、新しい生活に 戸惑って混乱しました。

でも子供心に、何とか折り合いをつけて、新しい母とうまくやっていく事が生きていく知恵…と納得せざるを得なかったんだと思います。

 


継母は、長野のかなり大きな農家の娘でした。
しかし一転、父の会社の職人さん達の食事の用意や、私達姉妹の世話などの忙しさで、
彼女の東京での結婚生活は色々とストレスがあったようです。

 

小学生の私に愚痴や心配事を話すようになっていきました。

話の中には「え?そんな事まで言うの?」と思わせる様なことまで…。
(内容は秘密です 笑)

思い返してみると、その頃から、よく学校などでも人の相談に乗る事が多く、多分大人びていたんでしょう。


高校にあがった頃からは ”おばちゃん” と呼ばれるようになり、とてもよく相談を持ちかけられるようになりました。その背景には、その継母との関係が大きかったのかも知れません

高校生の時は生徒会長もやりました。同時に不良グループとも付き合うようになり、少しはみ出した彼らとの交流は、満たされない何かを持った私にはとても魅力的でした。

 

タバコもこの頃から吸い始め、その後10年以上それが続く事になります。

高校卒業後は、語学学校へ進むも長くは続かず、海外にいくために色々な仕事をしました。

語学学校で日本語を教えたり、英会話を教えたり、銀座でホステスをしたり、クラブで歌を歌ったりと様々な経験があります。

そして、その頃記者をしていた元夫と知り合い、結婚することになりました。
イギリス人の彼はイギリスの大学に戻る事を決めたので、4年間在英しました。

 

その数年後、彼の大学の仕事の関係でアメリカ西海岸で3年暮らし、そのまた数年後に離婚が決まり、私は再びアメリカ戻りました。今年で在米12年目になります。

現在もカリフォルニア在住。

カウンセリングという世界に興味を持ったのは、私自身が過去に生き辛さを抱えて苦しみ、
患者として日本・イギリス・アメリカでセッションを受けたことと、自分には多分合っているという勘のようなものがあったからです。

そこで、サンタバーバラ・シティ・カレッジでアルコールや薬物依存の方達のカウンセリング・コースを見つけた時、迷わず学びたいと決めて入学〜卒業し、修了証を手にしました。

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その後、依存症の他、様々な精神障害、発達障害を持つ方々の施設でコーディネーターとして仕事をしてきたのです。家庭内暴力の被害者のためのシェルターで働いたこともあります。

様々なプロ、ノンプロのカウンセラーもたくさん見てきました。


いままでの人生経験、アメリカにおけるタバコ以外の様々な依存症に関わってきた経験から、私が感じたことは…。

人というのは、
自分の事や気持ちを、誰かにに聞いてほしいという欲求が
とても強い生き物なんだろうな…という事。


聞き上手の私はカウンセラーが、本当の天職だと思えます。
そして、良き聞き手というのは、多分…私達誰にとっても必要なんだという事も感じます。

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私には今までの人生で、自分によくやったぞと思える3選があります。

それは、

1.二人の子供を産んだ事

2.運転免許証を取った事

3.禁煙した事

人が聞いたら、なーんだそんな事と思えるでしょうが、
私にとっては、よくやった、でかした!と思える出来事です。

なぜなら、私にとってもそう簡単ではなかったからです。


私の『よくやった三選』を詳しく知りたい方は、コチラから。
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ギル 和子の性格がよく分かると思いますよ(笑)

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